世界の常識。日本車や日本のテレビが優れていたのは「血の滲むような改善努力」の成果であり、それは疑いなく称賛に値する。しかし、その過程で日本が受け取った米国からの援助――「世界の民主化努力」「民主主義の実験国家」としての後押しや市場開放という構造的恩恵――を正しく認識しないまま、日本社会には慢心が広がっていったように感じられる。

実際、米国側の苛立ちは1980年代に、ようやく日本メデイアも報じ始め爆発したが、種火は1960年代からとも言える。1985年頃、米商工会議所の会頭が「これまで何度も日本の首相に市場開放を約束されてきたが、すべて裏切られた。嘘ばかりつかれた。もう我慢の限界だ」と激怒していた様子は、私にとって今も鮮烈な記憶だ。まさに、このような長年の蓄積が、USスチール関係者だったブラジル系米人の最近の対日批判、さらにはトランプ氏の言動と共鳴しうる“アメリカ的感情”を下支えしてきたのだと、私は見ている。

トランプ大統領とバンス副大統領 ホワイトハウスXより

さらに憂慮すべきは、日本側の反応だ。当時、日本国内には「米国製品は品質が劣るから売れない」との正しい認識にとどまらず、「反米」「嫌米」、それは分かる。だが「憐米(米国を憐れむ)」という言葉まで生まれた。その瞬間、私は深く感じた――「このままでは、日本は米国の信頼を失い、いずれ取り返しのつかない危機に直面する。米国による特殊な庇護など、国際政治の現状をあまり理解、認識しないまま、自国の技術だけで勝負できると思い込む。その結果、TVや自動車はもちろん、半導体、スマホ、5G, これらなどの分野における競争で世界に負ける」と。それが1990年代前半から現在に至るまで、私が警鐘を鳴らし続けてきた原点でもある。

これも私が恐れて警告したこと。台湾半導体企業TSMCの熊本への移転。延期とあるが、多分中止になるでしょう。世界の「日本の立ち位置」をあまり理解してない。国際政治に弱い日本人は覚醒するべきなのかも知れない。

思い起こされるのは、1985年のプラザ合意である。私は後日だが、ニューヨークのプラザホテルおよびその他の合意会場を訪れた。米財務長官J・ベイカーをはじめとする英米代表や関係者との対談も重ねた。その場で交わされた合意の結果、為替は急激に動き出し、円高が猛烈なスピードで進行した。
この急激な円高の恩恵を受け、対米輸出で莫大な利益を得た日本企業は、その資金を米国内の不動産投資に一気に振り向けていく。とりわけ強く記憶に刻まれているのが、三菱地所によるニューヨーク・ロックフェラーセンターの買収である。1989年だった。米国のメディアと多くの米国人はこれを「真珠湾攻撃」とまで言い放った。
私はニューヨークだけでなく、ロサンゼルス、ハワイでも現地取材を行ったが、多くの日本企業は米国の世論や反発感情に無頓着なまま、買収を進めていった。高層ビル、リゾート、ホテル、ゴルフ場——資産の種類を問わず「買いまくった」のが実態である。日本(企業)が米国を買収して、不動産価格を釣りあげている。米国市場で儲けたお金だ。出て行けという声も聞いた。
(その後、類似の投資は中国勢にも見られるようになる。ただし彼らは日本と異なり、目立つ買収を避け、静かに、慎重に進めた。それは「買われた側」の心理を知った上での、いわば経験に学んだアプローチとも言える)。
この時期の記憶こそが、今日のトランプ氏の原体験のひとつとなっている。彼は理念を掲げる政治家ではなく、不動産ビジネスマンである。そうした彼にとって、「不公正な貿易で得た利益を使って、外国資本が我が国の土地や象徴的資産を買い漁った」記憶は、決して風化していない。
だからこそ彼は言うのだろう——「今こそ関税をかけて報復すべきだ」と。