当時の米国は、世界の民主化、自由貿易の理念に忠実に、市場を開放していた。「お人好し」と揶揄されながらも、日本製品の自由な流通を許し、1950〜60年代には重要な技術や特許すら、日本という“賢明な同盟国”に惜しみなく提供していた。日本は現在にもつながる問題――安全保障は自国で殆どやらず、賢く米国にほぼすべて依存し、経済・技術発展に専念してきた。

安保「ただ乗り論」とも言えるこの点も、現在のトランプの不満につながっている。

1960年代以降、その寛容さの裏で、米国側には徐々に不満が蓄積していった。なぜ日本市場では米国車が売れないのか。確かに、当時の米車の品質には問題があった。燃費が悪く、壊れやすい。当然、自分でも絶対に買わない。私はJD Power本社も訪問し、顧客評価を取材し、日独車が上位を占めた。一方で米車が米国人にも悪い評価を受けていた事実を確認した。米国人があまり買わないものを日本人が買うわけなどない。

ただ、問題はそれだけではない。米国側からは、「日本市場に最初から入れてもらえなかった」「競争の土俵にすら立てなかった」という不満が繰り返し提起された。たとえば、今では常識となったドアミラーも、かつてはフェンダーミラーでなければ日本市場に参入できなかったという規制を思い出した。米側はこれを“非関税障壁”の一例と捉えていた記憶が蘇る。こうした論点での米国側の怒りは、非常に根強いものがあった。

農産物でも同様だ。コメやかんきつ類といった品目は、日本市場において「消費者に選択肢さえ与えられていなかった」。農務省幹部など米国関係者数人がこう語った――「自動車も基本は同じ。消費者が選ぶので、売れないなら諦めもつくが、売ることを試すことさえ許されなかった」と。

欧州が日本と同じような超保護主義的な市場だったのに対し、米国は自由貿易を掲げ、日本製品を積極的に受け入れてきた。結果として高品質な日本製品は米国市場で爆発的に売れたが、その一方で米国製品は日本に「門前払い」される。この構図に対する“心理的な不均衡”は、年を追うごとに深刻になっていった。