そのため、19世紀の学者たちは新たに「グラディアトリクス(Gladiatrix)」という名称を作りました。
グラディアトリクスについての記録は、さまざまな文書や碑文の形でたくさん残っています。
古代ローマでは、女性を指すラテン語として、ムリエレス(mulieres、下層あるいは一般女性)・ルディア(ludia、祭りや娯楽に出演する女性)・フェミネ(feminae、高貴な婦人/位の高い女性)の3つがありました。
古文書によると、このうちのムリエレスとルディアが戦闘に参加したとされています。
しかも戦闘への参加は、権力者による強制ではなく、自らの選択であったようなのです。
一体なぜなのか、その理由を次に紐解いていきます。
自らの「尊厳」を勝ち取るための戦い
これには、古代ローマの社会的背景が関係しています。
当時のローマは男性優位の家父長制であり、女性にはほとんど自由が与えられず、彼女たちの権利はパートナーの男性との関係で決められました。
とくに女性は、家庭と結婚生活のうちでのみ重視され、性的貞節・良識・夫への愛・夫婦間の調和・家族への献身・多産豊穣などが美徳とされました。
しかし、位の高い婦人ならともかく、下層階級の女性たちは精神的にも経済的にも大いに苦しめられます。
そのことから専門家らは、自立への欲求、名声を得るチャンス、借金の免除などの経済的報酬をかけて、グラディエーターの世界に身を投じたのだろう、と指摘します。
ただし、彼女らが男性の剣闘士と戦うことはありませんでした。
戦う相手は同じグラディアトリクス同士か、動物だったと記録されています。
古代ローマの歴史家、カッシウス・ディオ(155〜235年)は、ネロ皇帝の母を記念して開催された祭事について、「女性たちが馬を駆り、野獣を殺し、剣闘士として戦い、一部は喜び勇み、一部は意に反して痛ましいほどだった」と記録しています。