たった一文字、たった一つのコンマ。我々が日常で犯しがちな些細なミスが、時に国家の威信を揺るがし、何億円もの大金を消し去り、さらには宇宙の果てでロケットを爆発させてしまうことがある。これは、笑い話では済まされない歴史の裏側に隠された「恐るべき誤植」の物語だ。

1. 「姦淫せよ」—神の教えを書き換えた“邪悪な聖書”

 1631年、ロンドンの印刷業者ロバート・バーカーとマーティン・ルーカスは、やがて歴史に汚名を残すことになる一冊の聖書を世に送り出した。それは、モーセの十戒の一つ、「汝、姦淫するなかれ(Thou shalt not commit adultery)」という神聖な教えから、否定の“not”が抜け落ち、「汝、姦淫せよ」と印刷されてしまった、世にも恐ろしい聖書だった。

 この前代未聞の誤植は、イングランド国王チャールズ1世とカンタベリー大主教の逆鱗に触れた。単なる印刷ミスでは済まされず、神への冒涜であり、国家の威信を貶める大失態と見なされたのだ。2人の印刷業者は即座に逮捕され、莫大な罰金を科された上、印刷免許を剥奪される。そして、この「邪悪な聖書(The Wicked Bible)」のほとんどは、王の命令によって燃やされた。

 現在、この“呪われた聖書”は世界に十数冊しか現存せず、希少なコレクターズアイテムとして高値で取引されている。たった3文字の欠落が、神の言葉を悪魔の囁きに変えてしまった、出版史上最も悪名高い事件である。

「たった一文字のミス」が招いた歴史的大惨事5選!損失300億円、ロケット爆発、聖書が邪教に…の画像2
(画像=ByNarrington77–Own work,CC BY-SA 4.0,Link)

2. NASAのロケットを爆破した「1本のハイフン」

 1962年、NASAはアメリカ初の金星探査機「マリナー1号」を宇宙へと打ち上げた。しかし、その輝かしい旅は、打ち上げからわずか293秒で悲劇に終わる。ミッションコントロールが、自らの手でロケットを爆破したのだ。

 その原因は、誘導システムのプログラムコードに書き込まれた、あまりに些細なミスだった。1本のハイフン(-)が欠けていたのだ。このハイフンは、ロケットの軌道を滑らかに補正するための重要な記号だった。しかし、それがないためにコンピューターは正常なデータを「異常」と誤認識し、ロケットは制御不能に陥った。地上への墜落という最悪の事態を避けるため、NASAは断腸の思いで自爆スイッチを押すしかなかった。

 後にSF作家アーサー・C・クラークが「歴史上、最も高価なハイフン」と評したこのミス。その損失額は、現在の価値にして1億7000万ドル(約250億円)以上。たった1本の横棒が、国家の威信と巨額の予算を、一瞬にして宇宙の塵に変えてしまった。

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(画像=By NASA/JPL-Caltech –https://mars.nasa.gov/resources/24737/mariner-1-in-jpls-spacecraft-assembly-facility/, Public Domain,Link)