筆者は独立前、周囲の人間から「会社やめたら誰も注意してくれないからダメ人間にならない?」と言われたことがあって、不安になったことがある。だが、そんな心配は杞憂だった。

独立するとサラリーマン時代以上に容赦なく評価され、ダメ出しされ、指摘される。記事や動画には容赦なく批判やツッコミは来るし、直接言われなくても大きく外した成果物は「アクセス数」という形で指摘が入るようになっている。

「お前のこの作品にニーズはないよ」と厳しく教えてもらえることで、毎回毎回が真剣勝負になるし、視聴者からの反応は何よりも意識が向く。

そんな生活を何年も送ることで、今やサラリーマンの時以上に自分の振る舞いを客観的に意識するようになった。この自己体験からも人は注意や指摘を受ける方が圧倒的に成長するということが分かる。

人間にはある程度の強制力が必要

人間は本質的に楽を求める生き物である。ほとんどの人は、強制力がなければ努力を怠りがちだ。「強制」と聞くと時代錯誤に感じられるかもしれないが、適切な強制力は秩序を保ち、自律を促す役割を果たす。

コロナ禍におけるリモートワークという世界規模の社会実験でもリモートワークで生産性を高める人がいる一方、「オフィス出社という強制力がないと大多数のセルフスターターでない人は労働生産性が落ちる」ということがデータドリブンの米国ITテック企業を始め明らかになったことは興味深い。

また、学校や職場というある程度の強制力があるからこそ、一人では頑張れない人もその強制力の中で仕事や学習を習慣化し、結果を出すことができる。人間はそもそもそれほど強い生き物ではない。間違いを指摘され、ある程度のプレッシャーがあることではじめて努力するし、結果にコミットできるようになる。

だが、問題行動が放置されると、成長の機会が失われるだけでなく、自己管理能力が育たないまま社会に出る人が増える。

例えば、職場で注意されないまま、上司から「戦略的放置」された若者は今後、5年、10年経って若さという魔法が解けるとマーケットニーズがなくなる。若くなくなればポテンシャルを見てもらえなくなり、プライドだけ高くて仕事ができない人材は労働市場で需要が消えてしまうのだ。

AIの使い方で広がる新たな格差