黒坂岳央です。
かつては上司が部下に、教師が生徒に、問題行動に対して当たり前に注意や指摘をしていた。子供には近所の大人が注意するという場面も珍しくなかったし、筆者は実際知らない大人からいたずらをして「コラッ!」と叱られた経験がある。
だが今、世の中から「注意や指摘する人」は急速に減っている。注意は暴力という認識を超えて、今や「犯罪行為」へと変わった。こうなると誰も注意しない、いやできなくなったのだ。
これは一見すると生きやすい社会に思われるが、実際にはその逆が起きている。どんな人も必ず間違いを犯す。しかし、誰にも注意、指摘されなければ本人は行動の誤りに永遠に気づかないまま、ドンドン視野狭窄になり、思い込み、勘違いしたまま思考は硬直化。最後は人が寄り付かない「モンスター化」する。

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注意しない社会
現代社会では、パワハラやクレームを恐れて注意を控える傾向が強まっている。
例えば、部下が問題行動をしても上司はパワハラと訴えられることを恐れて躊躇するケースが増えている。実際、そのようにパワハラだと騒ぐことで問題になってしまい、「物言わぬ上司」になってしまう人もいる。
また学校現場でも、生徒の問題行動を教師が指摘しない場面を目撃してきた。理由は保護者からクレームが入るリスクがあるからだ。
こうなると多くの人は「面倒事を回避するために注意しない」という選択を取るようになり、問題行動が放置される方向へとシフトしているのだ。
強烈な格差になる
積極的に「放置」される現代、そんなトレンドとは逆に自らフィードバックを求める人もいる。こうなると両者の間にはとてつもなく大きな格差が生じる。
成長意欲が高い人は、上司や同僚に積極的に意見を求め、自己改善を重ねていく。マーケットからの反応を真摯に受け止め、成長を続けていく。その一方、楽だから、権利を有しているからと好き勝手に振る舞う人は、問題行動を指摘されないまま長い時を過ごす。この差は、スキルや人間関係、キャリア形成、人格において決定的な影響を及ぼす。