この経験からも、このように生じる誤解は解かないで放置でいいと思っている。自分の責任の成果物には真摯に対応するが、相手側に責任がある場合はいちいち反論せず、好きに言わせっぱなしにしている。そうした相手から誤解されても失うものはない。そしてこのようなケースは人生を生きていて少なくないので、都度訂正をしていると時間が足りなくなる。

ビジネスでは限られたリソースをどこに投資するかが成功の鍵を握る。誤解を解く努力は、ROI(投資対効果)で考えれば明らかに非効率だ。

解釈は相手の課題

人生は「自分の課題と相手の課題」にわけられる。言わずもがな、人生は自分の課題に集中するべきなのだ。

誤解の多くは、相手の固定観念や認知バイアスから生じる。自分の発言が意図と異なる受け取られ方をしても、それは相手の解釈の問題であり、自分の責任ではない。

そのため、仮に相手から「お前のせいで不快になった」と言われても落ち込む必要はない。不快になることを選んだのは相手だからだ。この場合、大人が取る合理的な選択とは、不快になった相手から黙って離れることである。両者とも失うものはなく、最も低コストなディールとなるだろう。

たとえばSNSで情報収集をする上で不快な投稿が流れてきたからと言って、いちいち腹を立てて相手に絡むのはお互いに時間のムダでしかないし、その感情処理は本来、自分の課題であり、SNSという文明の利器を使う上で当然ついて回る副作用というわけだ。

1割の誤解は解かねばならない

自分は9割の誤解は放置でいいといった。だが、1割はそうではない。ここからはその1割について話していこう。結論、実害が生じうる誤解である。

実例を言えば、相手から「メールを送ったのに無視しないでください」と叱られたことがある。だが、筆者はビジネス顧客からのメールは「返信率100%」をずっとキープしているので、絶対に無視はしていないという確固たる自信があった。