彼のキャリアで特に注目すべきは、「意識改革」を掲げた起業家としての活動である。彼が設立した「イシキカイカク株式会社」やインターネットチャンネル「CGS(Channel Grand Strategy)」は、単なる政治活動ではなく、来るべき政治運動のためのコミュニティとメディアプラットフォームの構築であった※3)。

これらの事業を通じて、彼は参政党が結成される何年も前から、歴史、経済、ナショナリズムを融合させた彼独自の政治思想に共鳴する視聴者層を育成していた。

この「コミュニティ第一、政党第二」のアプローチは、従来の政党形成モデルを逆転させるものであった。伝統的な政党が運動を創り出すのに対し、神谷氏はまずメディア中心のコミュニティを特定のイデオロギーの周りに形成し、それを後に政党として正式化したのである。この長年にわたる下地作りが、参政党の「急速な」台頭に見える現象の背景にある。

また、彼自身が語る、いじめや挫折を乗り越え、「日本の若者の意識を変える」という使命を見出したという個人的な物語は、彼のカリスマ的魅力と党の創設神話の中核をなしている※3)。

1.2 「投票したい政党がない」人々のための党:草の根の創設物語

参政党の最も強力なブランド・メッセージは、「投票したい政党がないから、自分たちでゼロからつくる」というスローガンに集約されている※6)。これは、腐敗し、国民の声に耳を傾けないエリート層に対し、一般市民の主権を訴える古典的なポピュリスト的アピールである。

この物語は、日本の政治における投票率の低下や無党派層の増大といった、実在する制度的空白を戦略的に突くものであった。参政党は、政治的に疎外された人々に「DIY(Do It Yourself)」プロジェクトとしての政党参加を提示し、彼らの無力感と参加意欲に応えたのである※8)。

この物語を補強するのが、特定の支援団体や資金源を持たないという主張である※6)。企業、宗教団体、労働組合からの支援を受けず、党費と個人の寄付によって運営されていると強調することで、自らを「普通の国民が集まった」政党として位置づけ、既存政党の「しがらみ政治」と明確な対比を描き出している。

1.3 政治サークルから国政政党へ:急成長の軌跡