筆者は過去30年以上、ワシントンはもちろん、NY国連、欧州NATOの軍事関係者と話した。こんな「自分は9条で動かない」という同盟関係などあり得ないと、ほぼ全員が言った。
安倍元首相が導入した限定的な集団的自衛権も、その内容は極めて抑制的だった。それでも多くの国民が反発し、デモが起き、内閣支持率は10%以上下落した。「日本人には、自国を守る覚悟がない。もし覚悟があるなら、米国有事でTVを見ているだけなどありえない」――この現実が明らかになったのである。しかも、安保法制には「日本の存立が脅かされる場合に限る」という条件が付されており、米国の有事で日本が動くことはない。法案成立直後の時は米国は喜んだ。だがその後、実態を知った米国は失望している。
台湾有事の可能性が高まり、尖閣や沖縄にも戦火が及ぶリスクが現実味を帯びる今、日本が直面しているのは、「自国を自分で守る意志があるのか?」という根源的な問いである。米国は、自ら血を流す覚悟のない国を本気で守ることはない。ウクライナが示したように、「自ら戦う意志」が支援の前提条件なのだ。
すでにトランプは政権を奪還しており、彼の外交姿勢は一貫して「自分とアメリカ・ファースト」である。尖閣や沖縄が侵略されても、軍事介入ではなく、300%くらいの関税で終わる可能性すらある。中国にとっては、「戦わずして勝つ」理想的な展開だ。
だからこそ、いま必要なのは「依存」ではなく「自立」である。日米安保条約は、1年前に通告すれば破棄可能な条約である。米兵暴行事件、地位協定の不平等や思いやり予算の過大さを批判しながら、「条約破棄」という本質的な議論を避けてきた現在の姿勢は、無責任の極みだ。
ウクライナはNATOに加盟していなかったために侵略された。では日本もNATOに入るべきか?という議論もあるだろう。だが、NATOを含め、どの軍事同盟であっても、日米安保ほど異常な「片務性」が認められている例は存在しない。「守ってもらうが、自分は戦わない」――そんな構造は人類史上に前例がない。