私はプラトンのイデア論の意義を次のように捉えている。

第一に、科学・哲学における普遍的価値観の考察や本質主義の出発点となった。

第二に、真・善・美は学問・道徳・芸術の追求目標といえるものであることを示した。現実に妥協せずそれぞれのイデアを求める理想主義の哲学を打ち出した。

第三に、イデア論は、美は単なる感覚的なものでなく、人間の魂の営みの内の美を通じて、高次の知や善に向かう導きであるとし、芸術に新たな視点を加えた。

こうした意義深いイデア論であるが、18世紀の哲学者カントは、彼の有名な三大批判書(『純粋理性批判』、『実践理性批判』と『判断力批判』)により、プラトン的な真・善・美についての考えを継承しつつも、それらを独立した理性の領域として捉え、まとめ直した。

すなわち、「真」は、人間の純粋理性の推理し原理を求める能力の働きによって条件づけられ成立するものである。

「善」は人間の自由な意思のあるべき普遍的な形式を求め、そうした形式そのものが道徳の最上の原理として無条件に守るべき道徳法則であるとした。

「美」とは、我々の主観における感情の事柄だが、美の経験に際して、一切の利害関心から解放されており、無関心性という性質を有している。だから美は主観的だが他者にも共通性を要求できる、ある種の普遍性がある。

カントは、右記のように人間の理性は自律的に働き、その理性で自分の意志にアプリオリな形式を与えることができ、自己を規律できるとした。つまり、真・善・美は人間の理性や感情を通じて深く関わり合っており、それぞれが単一で成り立つものではない。

私は西洋哲学における真・善・美を概略理解した後に、東洋哲学との関係性について考察し始め、日本の誇るべき哲学者西田幾多郎の『真・善・美』(論文選)も読み、様々な点で啓発された。

この分野ではもう一人重要な人物がいた。ヨハン・ニコラウス・テーテンスだ。彼は18世紀後半に活躍したドイツ系デンマーク人の哲学者・心理学者である。彼はカントに先行し、人間の心の働き(認識・感情・意志)を心理学的に分類・分析した。彼は人間の心の働きを知(認識能力、真理を知る力)、情(感情能力)、意(自律的意志)の三つに分類し考察した。彼が真善美を心理学と結びつけて捉えたことは画期的で、カントに大きな影響を与えたと言えよう。