そもそも日本社会学会で、複数の研究者が一同に会したかたちで高田保馬を取り上げたのは逝去の年だけである。

一つは『社会学評論』(90号 1972年9月)であり、もう一つは1972年10月の法政大学を会場とする第47回大会で、シンポジウム「日本社会学と高田社会学」が午前9時半から午後5時まで開催された。高田理論社会学に忠実な向井利昌、全面批判者の宇津栄祐、意義と有効性を強調する富永健一の三氏のご発表、吉田民人、稲上毅、小室直樹氏らのコメントを、修士課程1年の私は末席で拝聴した。

酷評した2冊の本

その後30年間、社会学史の一部として簡単に取り上げられることはあった。しかし、高田保馬をタイトルにした社会学書は河村望『高田保馬の社会学』(いなほ書房 1992年)と北島滋『高田保馬』(東信堂 2002年)しかない。しかも、両者ともにはじめから高田と高田理論を酷評する意図をあらわにした本であった。

それらはマルクス主義の観点からの糾弾や否定が全面に出ており、高田社会学の応用や継承をまったく放棄したものであった。

「高田保馬リカバリー」のテーマセッション

しかし、復刻した3冊だけでも明らかなように、21世紀日本で最大の課題になる少子化や長寿化研究の理論社会学の一部に人口史観が有効なことは自明であるし、ネットワーク論やボランティア論の基盤に結合定量の法則を活用することもできる。勢力論は国際化、地方分権化の両方にも、また官僚制研究にも多大のヒントを提供する。

それらを念頭に置いた「テーマセッション」を、私は2003年11月の中央大学での第76回大会で「高田保馬リカバリー」として実施した。復刻3冊でご協力いただいた盛山和夫、小林甫の両氏に加えて、森岡清志、下平好博氏らが登壇され、会場には富永先生はじめ多くの関係者が参集された。おそらく31年ぶりの学会大会での高田関連の集合的議論であったはずである。「写真」は集会が終了した時に撮影したものである。