自由の果ての仲間割れ―カウンターカルチャーの儚い夢
自由を求め、既存の社会構造を破壊しようとした試みもまた、内側から崩れていく運命にあった。
■ドロップ・シティ(Drop City)

1965年、コロラド州の荒野に生まれたヒッピー・コミューン。自動車の廃材や金属スクラップで建てられた幾何学的なドームハウスは、カウンターカルチャーの象徴となった。彼らは「ドロップ・アート」と呼ばれるゲリラ的な芸術活動の一環として、この共同体を「住めるアート作品」と見なしていた。
そのユニークなライフスタイルはメディアの注目を集め、全米から多くの若者が集まってきた。しかし、人が増えるにつれて哲学的な対立が深刻化し、創設メンバーが次々と去っていく。やがて共同体は完全に放棄され、最後まで残っていたドームも90年代後半に取り壊された。
■オナイダ・コミュニティ(Oneida Community)

1848年にニューヨーク州で始まったこの急進的なキリスト教共同体は、「フリーラブ(自由恋愛)」や「複合結婚(多夫多妻制)」を実践したことで知られる。指導者のジョン・ノイズは、信者が神と完全に一体化できると説いた。一見、自由奔放な共同体に見えるが、内部には多数の委員会や評議会を持つ複雑な官僚機構が存在していた。
しかし、指導者ノイズが息子に権力を譲ろうとしたことから内紛が激化。さらに、ノイズ自身に法的訴追の危機が迫ると、彼はカナダへ逃亡。指導者を失った共同体は、1880年に株式会社へと姿を変えた。このユートピアの残滓は、現在もテーブルウェアメーカー「Oneida」として存続しており、ステンレス食器の最大手の一つとなっているのは、歴史の面白い巡り合わせだ。
これらの失敗したユートピアの物語は、単なる過去の奇妙なエピソードではない。それは、完璧な社会を夢見る人間の根源的な欲求と、エゴや現実認識の欠如といった普遍的な限界を映し出す鏡なのだ。 人間が夢を見ることをやめない限り、理想郷を求める旅もまた終わらない。
ただ、天国を目指したはずの道が、いつの間にか地獄への一本道になっていないか、時々は振り返ってみる必要がありそうだ。
参考:Mental Floss、ほか
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