腐敗した社会から逃れ、誰もが平等で豊かに暮らせる理想郷「ユートピア」。その甘美な響きは、いつの時代も人々を惹きつけてきた。特に19世紀のアメリカでは、カリスマ的な指導者の下で、資本主義や既存の社会規範から解放された共同体を築こうとする試みが数多く生まれた。
しかし、その多くは悲劇的な結末を迎える。自然との一体化や精神的な高みを求めたはずの場所は、やがて内紛、困窮、そして時には狂気と暴力に支配されるディストピアへと変貌していく。夢と現実のあまりにも大きな隔たり。ここでは、歴史に刻まれた「ユートピア」の失敗例から、天まで届かんとする人間の野心と、地に足のつかない脆さを垣間見てみよう。
理想は高く、現実は厳しく―スキル不足で崩壊した思想家たち
ユートピア建設には、崇高な理念だけでは足りない。それを支える現実的なスキルがなければ、理想はあっという間に瓦解する。
■フルーツランズ(Fruitlands)

1843年、マサチューセッツ州に設立された農耕共同体。設立者は、かの有名な『若草物語』の作者ルイザ・メイ・オルコットの父、エイモス・ブロンソン・オルコットと思想家のチャールズ・レーンだ。彼らは産業革命の強欲さを嫌い、自然回帰を目指す徹底したヴィーガン共同体を夢見た。
しかし、大きな問題があった。哲学や思想については一流の彼らだったが、肝心の農業の知識が誰一人としてなかったのだ。食料はみるみる底をつき、生活環境は劣悪化。共同体は絶え間ない内輪揉めに明け暮れた。この悲惨な経験は、後に娘ルイザによって『超絶主義者の野生のオート麦』という風刺的な短編小説に描かれている。結局、この理想郷はわずか7ヶ月で崩壊した。
■ブルック農場(Brook Farm)

1841年に設立されたこの共同体は、もう少し現実的だった。「共有の労働と利益」を掲げた株式会社としてスタートし、学校運営を主な収入源としていた。しかし、数年後にはより社会主義的なモデルへと移行。フランスの思想家シャルル・フーリエの構想に基づき、都市と農村を一体化させる巨大な共同住居「ファランステール」の建設を開始した。
だが、完成間近だったその建物は、1844年に火事で焼失。共同体は経済的に壊滅的な打撃を受け、数年のうちに解散へと追い込まれた。火事がなければ、また違う未来があったのかもしれない。