しかし、エンリケ監督が率いるスペイン代表は同大会で失態を冒す。初戦のコスタリカ代表戦は7-0で大勝したが、ドイツ代表戦では1-1の引き分け、第3戦の日本代表戦では先制しながらMF堂安律(現フライブルク)とMF田中碧(現リーズ・ユナイテッド)に連続得点を許し1-2の逆転負け。グループステージ1位の座を日本に譲り、辛くも得失点差でグループステージを突破すると、決勝トーナメント1回戦でモロッコ代表を相手に0-0でPK戦の末に敗退した。

同大会のスペイン代表選出については国民から疑問の声が上がっていた。エンリケ監督は、当時バルセロナでベンチを温めることが多くなっていたDFジョルディ・アルバやDFエリック・ガルシアをメンバー入りさせた一方で、好調をキープしていたMFブライス・メンデス、MFミケル・メリーノ(ともに当時レアル・ソシエダ)、MFセルヒオ・カナーレス(当時レアル・ベティス)、長らく代表の精神的支柱だったDFセルヒオ・ラモス(当時PSG)もメンバーから外したのだ。

その“クセ強”な選手選考は議論を呼び、ユニフォームの色から取ったスペイン代表のニックネーム「La Roja(赤)」ではなく「FCルイス・エンリケ」と皮肉るスペインメディアも現れた。

エンリケ監督は当時からマスコミ嫌いで知られ、メディアとの関係も悪く、PSGの監督を務める今でも「給料の25%から50%が減らされる代わりにメディアと話さなくていい契約があるなら、私は今すぐサインする」とうそぶくほどだ。

ルイス・エンリケ監督 写真:Getty Images

スタイルの固執や「パニックの5分間」

こればかりはエンリケ監督だけのせいではないが、スペイン代表はW杯で開催国に勝ったことがない。そのジンクスは強力で、2002年の日韓W杯では準々決勝で韓国代表にPK戦の末に敗れたほどだ。初優勝した2010年の南アフリカW杯では、開催国の南アフリカ代表がグループステージで早々に敗退したことが追い風となった。