たとえると医者に「風邪を引いたのでこの漢方薬を飲んでも大丈夫ですか?」と聞くようなものだ。そうなればYesかNoでしか返ってこない。そうではなく、「自分は今、体調がこのように悪い」と時期、体調変化、症状、熱、過去の症例などを医師に伝える方が良い回答を引き出せるのだ。
AIを真に使いこなす者とは、問いによってAIの可能性を最大化できる人間のことである。そして問いの力はAI抜きに「本質的知性」と言っていいだろう。
2. 人格とコミュ力
情報処理やデータは完全にAIに主権が渡った。これはAIにアクセスできる人のこの分野のスキルは差がつきにくくなったことを意味する。
そうなれば、人間関係においての付加価値は「人格やコミュニケーション力」ということになる。そしてこれはコンピュータが出せない付加価値だ。
たとえば商品サービスを購入する時、人は常に「スペックだけ」で購買を決めているわけではいない。担当者の人となりやコミュニケーションを通じて信用し、そして「この人からなら買っても大丈夫」と意思決定をしている。
筆者も買い物をする時、ついてくれる担当者の対応が気持ちよければ、「この企業やお店にお金を落としたい」という気持ちになり、たくさん注文をしたくなるということはよくある。
また、直接金銭の授受を伴わなくともSNSは信用経済の数値化したものであり、間接的にビジネスや社会的信用につながる。AIがどれだけ優れていても、人となりや歩んできた過去の生き方、コミュニケーション力までは提供できない。今後は魅力的な人格やコミュ力は確実に「知性」としてカウントするべき要素になりえるだろう。
3. 変化対応力
これまでも「生き残るのは変化に対応したものだけだ」という本質があったが、これからはそれがますます顕著に、そして極めてスピーディーになる。
既存産業の破壊と新たなる創造の連続が想定されるこれからのAI時代において、レガシーにしがみつく生き方はマイナスだ。大企業にしがみついても母体ごと消えてしまえば自分も一緒に沈んでしまう。