ところで、南米教会出身のローマ教皇フランシスコが就任直後、貧者の救済を頻繁に言及するため、「教皇は南米の神学といわれる解放神学の信奉者ではないか」という声が聞かれた。バチカンは1980年代に入り、南米教会で広がっていった解放神学に警戒心を高めていた。解放神学がマルクス主義に接近していく傾向が見え出したからだ。バチカン教理省長官に就任したヨーゼフ・・ラッツィンガー枢機卿(後日、ベネディクト16世)は南米の解放神学者グスタボ・グティエレス氏やレオナルド・ボブ氏の著作を批判、1984年には教理省の名で解放神学に警告を発したことがあった。
プレボイス枢機卿は2023年にフランシスコ教皇からバチカンに呼ばれ、司教省長官に任命される前23年余り南米ペルーの宣教師として歩んできたこともあって、貧困に悩む南米の人々の実情に精通している。フランシスコ教皇はプレボイス枢機卿のキャリアを高く評価していたといわれた。
確かに、レオ14世の社会問題への傾倒度ではフランシスコ教皇に似ている。また、プレボイス枢機卿が教皇名にレオ14世と名乗ることを希望したということは、同枢機卿がレオ13世(在位1878年~1903年)の足跡を評価し、その後継者になりたいと考えていることを示している。レオ13世は1891年、カトリック社会教説の回勅「レールム・ノヴァールム」を発表し、その中で労働者の権利を擁護し、搾取と行き過ぎた資本主義に警告している。
ただ、新旧両教皇を知るオーストリアのシエーンボルン枢機卿はメディアとのインタビューの中で「新教皇はフランシスコ教皇に似ているが、その言動は実務的で、相手の考えに先ず耳を傾ける。カリスマ性がある」と説明している。
レオ14世はサン・ピエトロ大聖堂のバルコーンから信者たちの前に初めて姿を見せた時、教皇の肩掛けとストールを着用していた。一方、フランシスコ教皇は最初から教皇の肩掛けなど華やかな法衣の着用を拒んだ。フランシスコ教皇は教皇宮殿に住むことを拒み、ゲストハウス・サンタ・マルタの自身の部屋(201号室)で寝泊まりしてきた。