もともとこの研究会の成果は「公共哲学」(全10巻)として東京大学出版会から刊行中であり、私たちが執筆した本は7巻目であった。そしてその全10巻の担当責任者が竹中出版局長であった。
そこでお世話になった竹中氏に、『都市の少子社会』の完全原稿を書き上げた2002年の秋に出版のご相談をしたところ、東大出版会では本格的な「少子化」の本はないので、「原稿を送ってください」という返事をいただいた。その後、内容と形式について数回のやり取りをして、正式に出版が決まった。
これはうれしかったが、反面で緊張した。何しろ当時は、東大出版会の本は東大出身の教授たちがほぼ執筆していたからである。しかしせっかくの機会なので、実証的で理論志向が強い「少子社会」論をまとめようと決意して、改稿を2003年3月末まで行った。
高田保馬の社会学的史観
ここでいう理論的な人口論とは、まずは高田保馬の社会学的史観(人口史観)を活用した「少子化する高齢社会」研究を指している。この理論への着眼は早く、連載第4回目の『都市高齢社会と地域福祉』(1993)の時から使ってきた。
1972年(明治5年)の日本には約3400万人の国民がいたが、ヨーロッパに追いつくべく近代化路線を歩む富国強兵策の結果、日本で初めて国勢調査が行われた1920年(大正9年)には5596万人まで増加し、1925年には5974万人に達していた。
社会学的史観=第三史観=人口史観
この年に刊行された『階級及第三史観』(改造社)で、高田は人口増加を与件とした日本社会の社会変動を体系化しようとした。それは、社会を構成する人口の量と質が、社会変動の中心としての階級の変動をもたらすという独自の史観であった。
先行するヘーゲルの精神史観やウェーバーの宗教(エートス)史観を第一史観、マルクスによる経済重視の唯物史観を第二史観と呼んで、それらとは区別して、人口が社会変動の筆頭要因であるとしたのが第三史観である。すなわち、社会学的史観=第三史観=人口史観はとりわけマルクスの唯物史観の批判の産物なのであった。