これは、これで壮観だ。とは言ったものの、こんなことで良いのだろうか。
ところが、これで報道が日本の政治と社会を動かしてしまった。
安倍晋三氏へのズブズブの論拠がいつまで経っても出てこないうえに、先生によって発掘された安倍氏に統一教会の関連団体から報酬が支払われたというスキャンダルは、その関連団体から金を受け取っていたとは明言していないという奥ゆかしい表現に変わってしまった。しかも奥ゆかしい先生は、ではいったいどのように報酬が支払われたか明言されない。
しかも先生からの重大発表を待たず、暗殺事件報道は統一教会糾弾報道にすり替わり、因果関係不明なまま盛り上がってしまった。
これは統一教会または宗教界に限った問題ではなくなっている。
拙著『検証暴走報道』において、報道量、報道の内容、これらの影響をデータから明らかにしたが、明確な論拠も、確固たる証拠もないまま事実報道が消え、憶測ばかりが報道され、因果関係が不明なまま社会が扇動されたのだった。
思い出してもらいたいのは、2011年に発生した東日本大震災と原発事故に関する報道だ。事実報道より憶測報道が悪目立ちし、まがいものじみた逸話を綴った朝日新聞の「プロメテウスの罠」に様々な賞を与えてしまった。
この連載は同紙記者が始めた慰安婦捏造報道に匹敵する悪質な内容だった。だが反省がないまま安倍晋三氏をめぐるいわゆるモリカケ報道が過熱し、事実報道が憶測報道に変質し、トリックスターが登場するところまで、旧統一教会追及報道の前哨戦とも言えそうな様相を呈した。
これで新聞やテレビなどのマスメディアはどうなったのか。
新聞の夕刊からの撤退。テレビの視聴者離れ。いずれもネットメディアに圧倒されたせいだが、新聞やテレビなどの説得力が低下したから圧倒されたのだ。出来事をありのままに伝えず、何者かを悪魔化して悦に入り、政治や社会が受けた影響を後始末しないまま、混乱を放置して次の話題に飛びついていれば人々から見限られて当然である。