尹錫悦大統領(当時)の場合は昨年12月の「非常戒厳」が躓きどころか派手に転んで骨折したようなもので自業自得の部分もありますが、弾劾されるにいたるのは世論形成がそうさせたとみてよいでしょう。

ではこれは韓国の特徴か、といえばアメリカも大して変わりはないと考えています。そして大統領周辺でなにか不祥事に近いことが起きた際、裁判所が一定の判断を下すわけですが、裁判官がどれだけ公正中立かという点は個人的には結構疑問視しています。それこそ裁判官も人の子、とすれば一定の私情が絶対にないとは言い切れません。時として結論ありき、という場合もあるでしょう。

例を挙げましょう。皆さんが医者にかかった時、医者の判断は「入院しなさい」だとします。ですが、今入院などできないからクスリと通院で勘弁してくれ、といえば医者も妥協する場合はあるでしょう。あるいは最近の医者は初めから選択肢をくれてどちらにしますか、という場合もあります。

別の例として会社が倒産して民事再生をする場合などは裁判官が関係者の意見を聴取したうえで「どうしたいですか?」という投げかけをすることもあるのです。つまり独断ではなく一種の議長のような立ち位置にある場合も見られます。

とすれば法の番人と言われても最近は相当の融通が利く場合が多いわけでその融通を私情と表現するのか、振れ幅の問題とするのかは解釈や表現の問題なのでしょう。

一定の権力が備わる大統領制の場合は一挙手一投足すべてが民意に刺激を与え、賛否両論が渦巻くことになります。特に韓国の場合、歴史的に大統領の公約に北朝鮮と「終戦宣言を目指す」というのがほぼ確実に入るのですが、その手法が強硬的か融和的かで明白な差が出ます。

今回の李氏ももちろん終戦宣言を目指すとしていますが、そのプロセスは「軍事的緊張の緩和」であり、対話による平和と共存であります。とすると日米韓の軍事的関係と緊張感をどう維持するのか、これが韓国国民のみならず、日米関係にも影響してくるわけです。