それこそスポーツでも野球や相撲が好きな人は盛り上がると思うのですが、そうでない人にとってはヒットでも何でもないわけです。大谷サンの話題はメディアがホームランの度に速報を入れ、「へぇすごいね」という印象付けをするのです。それがシーズン全体でみれば誰でも認知度が層状になり一定の理解ができるわけです。ところが案外、彼が所属するチームがどこか、そのチームの成績がどうかと聞けば答えらない人が続出すると思います。つまりヒットというより現象で聞かされているといったほうが良いのでしょう。
唯一国民的イシューになったのが「米フレーション」で、これは現在進行形でありますがコロナ期のマスク争奪戦そっくりなのです。あとで振り返ればあれは何だったのだろう、という話になるとみています。(国民の胃袋の数は同じだという原点に立ち返ればそう考えざるを得ないのです。)大阪万博も行く人は行くし、興味ない人はいかないわけで、友人同士で話をしても行った人は興奮気味にいろいろしゃべるも行かない人にとっては「ふーん」でしかないのです。
私の年代から上の方ぐらいですと日本経済がいかに発展してきたか、国民レベルで共感するものがあります。長嶋茂雄さんがお亡くなりになりましたが、まさに国民的英雄だったと言っても過言はないと思います。それぐらい皆さんが同じ目線で共有していたと思います。
かつてはモノにしろ、娯楽にしろ選択肢はさほどなかったのです。家の娯楽の代名詞であるテレビは一家に1台しかなく、チャンネル権争いが家庭の中で常に繰り広げられ、見たくもない時代劇を見せられたし、ゴールデンタイムは巨人の試合放送、商店街育ちの私は外に出ても商店の店先からはラジオの大音量の野球放送が聞こえてきたものです。つまり選択肢が極めて少なかったし、否が応でも目に入り、耳に入る状態だったのです。「木枯し紋次郎のつまようじ」なんて興味もないのに覚えたのは如何に話題が限定されていたかよい証だと思います。