故野村克也氏の語録に「35歳を超えて敵がいないということは、人間的に見込みがないことである。何かを成し遂げようとすれば、敵は当然できる。」というものがあるが、35歳の妥当性はともかく、皆に良い顔をしようと思いながら爽やかに生きてきたら、良い顔をしようと思っていることそのものを揶揄され(いわゆる小泉構文のような形で「彼はAをBと言い換えてあたかも凄い主張をしているように見えて、実は何も言っていない」と揶揄され)、変な形で「敵」を作ってしまったようにも見える。
そのような妙な形で「敵」を作るのではなく、しっかりとした主義主張を展開し、議論を交わしたい、戦いたい、という気持ちを小泉氏は有しているのではないか。
2.の最後で書いた、世間の「進次郎氏は、何も達成できていない」という批判は、そっくりそのまま、経験を積んできたと言い換えることもできる。
「農林部会長も経験していて、年上の盟友と言うべき同期当選の齋藤健氏(進次郎氏の前の農林部会長。その後農水大臣なども歴任した元経産官僚)と共に、当時は門外漢だった農政にもある程度精通してきている。環境大臣としての経験も積んできた。党内では、規制改革の旗手としても活動してきており、ある意味で規制の塊とも言うべき農業への切込み方もわかってきている。」といった自負をもって、確信犯的に2,000円という数字をぶち上げ、農業の構造改革を進めようとしている、というのが真相ではなかろうか。
農業には、大きな可能性がある。石破総理も年初の施政方針演説で、農地の集約・大区画化の重要性や輸出の強化について言及していた。農地の改革などが典型だが、いくつかの規制を取っ払っていくことで開ける道もある。
しっかりとした改革が進めば、私の見立てでは、米の価格は、早晩二極化していくと思われる。本当に質の高い言い米は高く売れるし、そうでない米は生産の増加などで消費者にある程度安く行きわたるはずである。努力がきちんとは報われない今の生産・流通などの体制が良いと思っている人は実は少ない。