しかし、ここに来て、かすかに風向きが変わってきている感じもある。
果たして進次郎氏のやろうとしていることは本当に正しいのか、という論調も強まってきているのだ。
メディアや生産者たちの「逆襲」である。メディアというものは、とにかく、対象となる人を「持ち上げてから落とす」のが得意で、本質的には逆でも良いわけだが(「落としてから上げる」)、要するに、ギャップを作ることで視聴者の耳目を集めることを旨としている。
これはメディアによる操作の面ももちろんあるが、本質的には、人間というものは飽きっぽいので、よほどロイヤリティの高いファンでもない限り、だんだん、逆のものが見たくなるわけであり、ある意味、メディアはそうした人間の感情に忠実に、欲するものを提供しているだけなのかもしれない。
例えば、国民民主党の勢いが陰りを見せているが、一つの典型例であろう。確かに山尾氏を候補者にしたり、備蓄米に対してエサと言う表現をしたり、幹事長が特定の場所で美人が多いね、と言うのは良くないことかもしれないが、さほどの罪とも思えないような話でもある。上り調子の時であれば、かき消されているような話であろう。
民主党ブーム、維新ブーム、みんなの党の躍進、都民ファーストや希望の党、、、と枚挙にいとまがないが、今回の国民民主党への追い風は果たしていつまで、どれくらいのインパクトで残り続けるのだろうか。昔から、「歌手1年、党首2年の使い捨て」と揶揄されるのも分かる。
さて、話を元に戻そう。上に示したような世間の常識から考えれば、メディアが小泉新農相による米価値下げの期待を高めておいてから、「実は生産者のことを考えていない」「小泉さんが根拠としているのは、実は違う」などとして、落としにかかるのはある意味当然である。
「こんな乱暴なやり方で、米の生産体制は維持できるのか」と論難するわけであり、最近になって、消費者側ではなく、生産者や流通業者や小売業者の声を丹念に拾いはじめている。様々な意見を紹介するということで、見上げた姿勢にも見えるが、ああまたか、とも思えるわけである。