さてコメ政策は今回の騒動を受けて全面見直しの機運が高まると思います。それと農協の抜本的見直しです。農協は小作農を農業支援のみならず、農家そのものをまるっぽで面倒みてきた歴史があります。故に農協の本質は農業指導よりも農家の共存共栄、薄利多売、農協だけがウハウハという前近代的なビジネス構造になっています。いみじくも産経の石井聡元論説委員長が「進次郎は『農協』をぶっ壊せるか」と題した論説を入れています。これは痛快であります。私から言わせれば農家が苦しんだのは農協と流通業者に利益を吸い取られたからであり、将来的な利益補償という発想はおかしいと考えています。

安倍昭恵氏に見る民間外交の是非

安倍昭恵氏がプーチン氏とクレムリンで会ったという報道はインパクトがありました。この時期にあえてプーチン氏と面会することを受け入れたのは仮にプーチン氏の策略だとしても私は昭恵氏がそれに引っかかったとは微塵とも思っていません。ご承知の通りトランプ氏が再選された後、オフィシャルに日本人で一番先に会ったのが昭恵氏であり、トランプ氏のフロリダの自宅で歓待されたのは記憶に新しいところです。今回のプーチン氏との会談において林官房長官は「政府として安倍昭恵元総理夫人とやり取りはしておらず、コメントする立場にはない」(ロイター)と述べ、前回のトランプ氏との会合の時も「政府としてコメントする立場にない」(日経)と全く同じコメントをしていました。

プーチン大統領と面会する安倍明恵氏 クレムリンHPより

林氏としてはそういわざるを得ないのです。その言葉は真意ではなく意図的に政府は間接的でかつ受動的立場であると言いたいのでしょう。政府が関与せずにプーチン氏との会談の席にいた通訳は誰がアレンジしたのでしょう?昭恵氏の安全を含め、外務省は黒子に徹したと思います。では昭恵氏の本意はどこにあるのか、これは容易には判明しませんが、私は民間外交なのだと思います。民間外交はレベルによりますが、外務省は嫌がると思います。1984年と85年に作家だった故山崎豊子氏が胡耀邦総書記に会っています。あの時、確か外務省は煙たがっていたと記憶しています。それは嫉妬心もあったはずで中国の総書記に好待遇で会えるのはせいぜい日本の首相ぐらいの時代に作家さんが2度も会えるのか、という気持ちだったのでしょう。