2014年にはマウスの体性感覚野(ヒゲからの感覚を処理する皮質領域)で、呼吸と連動したデルタ波やガンマ波活動が報告されました。

これは嗅覚や呼吸の制御に直接関与しない領域でも、呼吸リズムにロックした(同調した)脳波が生じうることを示した先駆的な発見でした。

その後の研究で、この「呼吸同期」現象は脳の広範な領域に及ぶことが判明します。

2016年前後には、マウスの海馬(記憶形成に重要な領域)で呼吸に伴う独自のリズムが検出され、従来知られていたシータ波とは異なることが示されました。

また前頭前野(意思決定や注意に関わる領域)でも、呼吸に由来する約4Hzの振動活動が見つかかっています。

2018年には、自由に行動するラットで嗅球の呼吸リズムにさまざまな離れた皮質領域の活動が位相同期していることが示され、呼吸位相(吸う・吐くのタイミング)が脳全体に広がるグローバルな同期信号となりうることが示唆されました。

こうした個別の発見が積み重なり、「呼吸のリズムが脳活動をグローバルに調整している」という見方が強まってきたのです。

この流れを受け、ブラジルのAdriano Tort博士ら国際チームが2025年にまとめたのが『Nature Reviews Neuroscience』誌掲載の総説論文「Global coordination of brain activity by the breathing cycle」(呼吸周期による脳活動の全球的協調)です。

本総説の目的は、近年蓄積された呼吸と脳波・行動に関するエビデンスを整理し、呼吸リズムがどのように脳内の様々なレベルの活動を同期させるか、その生理学的な仕組みと意義を論じることにありました。

深呼吸一つで脳が覚醒する――最新研究が示す呼吸術の科学

深呼吸一つで脳が覚醒する――最新研究が示す呼吸術の科学
深呼吸一つで脳が覚醒する――最新研究が示す呼吸術の科学 / 図1は、呼吸というシンプルな身体リズムがどのようにして脳の隅々まで波及していくかを“ズームアウト”するかたちで示したものです。まず最もミクロな視点では、吸った瞬間に鼻粘膜が機械的に刺激され、その信号が嗅球に届くと個々のニューロンの膜電位がわずかに脱分極し、スパイク(神経の「発火」)が起こりやすくなります。これが細胞レベルの揺らぎです。次に数百〜数千個のニューロンが集まる局所回路のレベルに目を移すと、それぞれの細胞が呼吸のタイミングで同時に発火しやすくなるため、デルタやガンマといった脳波の振幅や位相が吸気・呼気で揺れ動きます。さらに解像度を落として脳全体のネットワークを俯瞰すると、離れた領域同士の活動の「山」と「谷」が呼吸ごとに揃い、海馬と前頭前野、扁桃体などが同じリズムで“会話”を交わしている様子がわかります。/Credit:Nature Reviews Neuroscience