中国の三国時代は日本でも知名度が非常に高く、その時代を生きた武将たちの活躍を描いた三国志は人気を博しています。
しかし武将たちの活躍もあって華やかに見える三国時代ですが、中国国内において人口が激減していたことはあまり知られていません。
それではどうして三国時代にここまで人口が減ることになったのでしょうか?
本記事では三国時代になぜ人口が減ることになったのかについて取り上げていきます。
なおこの研究は東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.12に詳細が書かれています。
目次
- 天才だけでなく天災も多かった三国時代
- 戦乱で人口集計が正確ではなかっただけ?
- 人口的に見てあり得ない三国志演義の動員兵
天才だけでなく天災も多かった三国時代

戦乱の時代になると人口が減少することは古今東西を問わずよく見られる現象ですが、三国時代のそれは他のものと比べても常軌を逸していました。
後漢の188年の中国の推定人口が6000万人なのに対し、三国時代の221年には1400万人まで激減しているのです。
そんな昔の人口がなぜ分かるのか? と思う人もいるかも知れませんが、中国では地理や官制、軍の編制など多岐に渉る記録が残されており、この記録の中には、各郡県や州の戸数などを記録したものもあるため、これにもとづいて当時の人口を推定することができるのです。
しかしこれは33年間で人口が四分の一になったということであり、非常に驚くべき数値といえます。
その原因として挙げられるのは、相次ぐ戦乱です。
群雄たちが合戦に臨むためには領民たちを募兵して戦力に加えなければならず、それゆえ合戦は農業が行われていない秋から冬にかけての時期に行われるのが普通でした。
しかし相次ぐ戦乱によって農民が農業を行っている春から夏の時期に兵士を動員することもしばしば起こるようになり、穀物の収穫量が大幅に減ることが相次いだのです。