初めて社会人になった時に頂いた給与とその数か月後に支給されたであろう夏の賞与、皆さんにはどちらが印象に残っていますか?初めての給与は育ててくれた親に恩返しをするといった美談もありますが、ネットを覗くと親へのプレゼント相場なるものがあるようで給与の10%だとか。日本人はいわゆる基準線を設けるのが大好きで、これを読んだ一部の人たちがその信者になり、「そういうものです!」と決めつけてしまったりする恐ろしさがあります。
私は初めての給与よりも研修中で何の仕事もしていないのに賞与ならぬ5万円の寸志を頂いた時のインパクトが大きかったです。給与は入社前からこれぐらいくれるものだと知っていたので貰って当然だと思っていたのです。その後、建設現場に配属になり現場所員の給与の管理もするようになった時、所長をはじめ、皆さんの給与が丸見えになりました。その時は衝撃でした。「えっ、こんなに貰っているんだ」と。
賞与の思い出は一種の身内であった秘書時代は多かったと思います。賞与にも査定が当然あるわけで標準値をベースに確か5-6段程度の基準、更に会社の主要人物とされる200人程度は会長が鉛筆を舐める最終調整がありました。主要人物は必ずしも役員や上位役職者に限らず、若手の配分にも目が届いていました。会長の海外好きは有名で海外で頑張っている人には多めの追加配分がありました。
そんな賞与、日本全体では当たり前でも海外では「何それ?」です。盆暮の付け届けが名残りとされていますが、今時お中元お歳暮よりもバレンタインに感謝祭、それにクリスマスでしょうか?日本ではもともとは盆暮に付け届けの習慣があるため、日本の会社では給与を14等分するという発想がスタートでした。つまり考え方としては賞与1か月x年2回だったわけです。
これがいつの間にか業績見合いという形にすり替えられます。会社側にとっては非常に都合がよいのです。なぜなら給与を低めに抑え、あとは会社が儲かればその時に大盤振る舞いをして決算が悪ければ「今年は雀の涙程度」にできる自由度が大きかったのです。これは給与水準を引き上げるとそれが一種のコミットメントになり、引き下げられず、将来業績不振になった際の過大な人件費負担のリスクを抱えるという発想があったと思われます。