その中で、ダンスも赤ちゃん向けの歌も、儀式としても日常としても一切見られなかったのです。

なぜ北アチェには、踊りや子守唄がないのでしょうか?

なぜ踊りと子守唄がないのか?

この意外な発見をきっかけに、研究者たちは一つの問いに向き合いました。

「もし本当に人類に普遍的な行動であれば、なぜ北アチェには踊りと子守唄が存在しないのか?」

そこで注目されたのが、文化的な伝承と人口動態の変化です。

北アチェは20世紀まで遊動的な狩猟採集民として暮らしてきましたが、度重なる外部からの迫害や感染症によって人口が激減し、その過程で貴重な文化の多くを失ったと考えられています。

実際、北アチェには弦楽器や集団音楽、思春期の通過儀礼、シャーマニズムなど、他のアチェ系集団に見られる文化がごっそり欠け落ちています。

つまり、踊りと子守唄もかつては存在したかもしれないが、人口減少の中で失われた可能性があるのです。

画像
A:北アチェの母親がくすぐりで赤ちゃんをあやす、B:集団で踊る南アチェの人々(北アチェではない)、C:北アチェは熾火(おきび)に息を吹きかけて火を絶やさないようにしている/ Credit: Manvir Singh et al., Current Biology (2025)

一方で本研究では、北アチェの成人たちに子守唄が存在しないものの、子どもをあやす際に「ふざけた口調」「変顔」「笑い」などを使うことが確認されました。

つまり、赤ちゃんをあやす必要性は北アチェにも存在していましたが、子守唄という形にはなっていなかったのです。

またダンスについても同様で、狩猟の合間や儀式の場面でも踊る姿は一度も見られませんでした。

研究者たちはこのことから「ダンスや子守唄は、生得的な行動ではなく、文化として発明され、共有され、伝承されるものだ」と結論づけています。

この結論は、音楽やダンスの起源を進化的に説明しようとする多くの理論にとって大きな示唆を与えます。