露骨な偏見の持ち主や、現体制を絶対視すると公言して恥じない反動家は、そもそも「あなたは差別者だ」と批判されても痛くも痒くもない。逆にダメージが大きいのは、私は差別のない社会をめざしますと主張するリベラル層だ。つまり「無敵の被差別者」の出現は、実際には差別をなくそうと取り組む運動を内ゲバ化させるのだ。

アカデミー賞やトランスジェンダーといった、「欧米の最先端の話題」を素材にするから新しく見えるだけで、そうした事態は日本でも先例がある。ぼくもまた以前から、はっきりそう述べてきた。

長い江戸時代の終わり

與那覇 個人のアイデンティティを政治イシューにする際には、憎悪や憤懣を煽る手法に陥らない配慮が必要です。70年代の社共共闘を崩壊させる一因になったのは、社会党の支持母体だった部落解放同盟と共産党の全面衝突でした(ローラ・ハイン『理性ある人びと 力ある言葉』岩波書店)。

そうした教訓を、いまハッシュタグ・アクティビズムで盛り上がる人たちが踏まえている気がどうもしません。

61頁(2022年8月刊)

1970年代から左派優位が崩れた日本と同様に、バイデン政権までは米国民主党を支えてきた、労働者・貧困層・マイノリティ・知識階層の連合も壊滅した。その最大の楔となったのがトランスジェンダリズムであり、トランプ政権の多様性への攻撃は、結果であって原因ではないのだ。リベラルな人ほど、見誤ってはならないと思う。

さて、このnoteの読者にはご存じのとおり、日本でもかように「無敵の人」を作り上げて内ゲバを繰り返し、社会の分断を煽り、本当の意味での多様性を衰弱させてきた人たちがいる。もちろん、トランスジェンダリズムの隠れ蓑として、2021年にオープンレターを振りかざした面々だ。

オープンレター秘録③ 一覧・史料批判のできない歴史学者たち|Yonaha Jun
学問的な歴史に興味を持ったことがあれば、「史料批判」という用語を一度は耳にしているだろう。しかしその意味を正しく知っている人は、実は(日本の)歴史学者も含めてほとんどいない。 史料批判とは、ざっくり言えば「書かれた文言を正確に把握する一方で、その内容を信じてよいのかを、『書かれていないこと』も含めて検証する」営みだ。...