中継ぎなら男子の後継者が産まれたら交代するはずだが、推古天皇は36年、孝謙天皇は15年、神功皇后は69年も天皇の役割を務めた。日本の伝統は卑弥呼の時代から女系(双系)であり、『日本書紀』でも皇祖のアマテラスは女性である。天皇は軍事的指導者ではなく「祭祀王」だったので、武力をもつ男性より象徴的な女性のほうがよかったのだ。
『日本書紀』で過去のいろいろな王家のオオキミに「**天皇」という謚(おくりな)をつけ、あたかも万世一系の皇統があるかのように歴史を書き換えたのは藤原不比等である。藤原氏が娘を天皇の妃にしてその外戚として実権をふるうには、男系継承のほうが都合よかったからだ。
しかし天皇につねに男子が産まれるとは限らない。側室は多かったが、天皇に子供をつくる能力がない場合もあった。そういう場合には、天皇以外の男性の子が皇位を継承する場合もあった。それは日本に宦官がなく、御所に男性が自由に入れたことでもわかる。
中国では後宮は男子禁制で去勢した宦官しか入れなかったが、日本の御所はオープンで、天皇以外の男性が側室に子を産ませてもわからなかった。「天皇は古代から天皇家のY染色体を継承してきた」という笑い話があるが、もし古代の天皇の遺骨をDNA検査したら、今の天皇が古代の遺伝子を受け継いでいないことがわかるだろう。
皇室の跡継ぎは天皇家が決めればいい強制的夫婦同姓にしても男系天皇にしても、明らかな男尊女卑のルールが残っているのは、文明国として恥ずかしい。2024年に国連の女性差別撤廃委員会は、日本の皇室典範は男女差別だとして、その改正を勧告した。
これに対して林官房長官は勧告の削除を申し入れたが、上にみたように男系男子は古来の伝統ではなく、たかだか明治の伝統であり、もっといえば井上毅の儒教道徳にすぎない。野党まで昭和老人に迎合して、こんな時代錯誤のルールを擁護するのは困ったものだ。