声なき民が遺したメッセージ

 アトリット・ヤムには、この地を築いた人々の名前も、彼らが残した文字も、解読できるシンボルもない。彼らが何者で、どこから来て、世界をどう見ていたのか、直接的な手がかりは皆無だ。しかし、遺跡そのものが語りかけてくる。

 例えば、遺跡から発見された道具の中には黒曜石で作られたものがある。黒曜石は火山ガラスの一種で、イスラエル沿岸では自然に産出しない。最も近い産地は、数百キロメートル北にある現在のトルコ周辺だ。これは、アトリット・ヤムの人々が海岸線を越えて遠方と交易を行っていた可能性を示している。

 家屋の配置、水の供給路、中央の井戸、貯蔵施設や作業場――その全てが、人々が協力し、計画的に生活を営んでいたことを物語る。彼らは土地を耕し、海の幸を獲り、死者を丁重に葬った。この整然とした営みは、人々の間のコミュニケーション、協力、そして共有された記憶なしには成り立たない。