研究が進むほど縄文人比率が下がっている

古代ゲノムの実測データが増えてきたため以前の推定は、形質人類学(頭骨の形など)や現代日本人のDNAからの間接的な推定に頼っていたが、縄文人や弥生人の遺体からDNAを抽出・解析する技術(古代DNA分析)が向上し、正確なモデルが構築できるようになっている。

弥生人(大陸系)の流入が予想以上に大規模だったその結果、近畿~北九州では、想像以上に大量の移民が中国江南地方から朝鮮半島南部経由でやってきて、それが日本人の主たる先祖だということが分かってきた。

つまり、「縄文人に長い間をかけて弥生系が混ざっていった」のではなく、大規模な人口置換があったということが確定的になった。

しかも、この考え方の欠点は、日本語が弥生人より早い時代に朝鮮語と分かれているらしいということをどう説明するかが難点だったが、三段階説の登場により、3000年前に第一波の弥生人がやってきて原始農業と日本語をもたらしたことが確実になり、解決した。

ゲノム全体の解析では弥生系成分が支配的現在の日本人のゲノム全体(常染色体)を基準とすると、縄文人由来の割合は10%程度のようである。

どうして「Y染色体では縄文人由来の割合が高く出る」のか

Y染色体は父系で伝わってくる。縄文系の特徴とされるハプログループ「D1a2a(旧称D2)」は、現代日本人男性のおよそ30~40%が保有している。もちろん、Y染色体の分析はゲノム分析のように安定した評価ではない。

しかし、全体では10%余りなのに、父祖が30~40%縄文系というのは、いささか異常な数値である。もし、縄文人が弥生人を征服したというなら分かるが、逆はあってもこちらはありえない。

となると、考えられるのは三つである。

ひとつは、皇室。二つ目は藤原氏。三つ目は三河武士である。

皇室は神武天皇からの万世一系をとなえている。古代から平安時代初期にかけて多くの男子が臣籍降下し、源氏や平氏になっている。ただし、平安時代中期以降は出家する者が多くなった。