世界中で表現の自由は試みられますが、国や宗教上の理由により厳しい制限制約があったり、弾圧や一神教的な枠組みから外れる思想に対する批判が出るなどなかなかフリーハンドになりません。日本は世界の中でも異質中の異質なのです。
様々な知識を持ち、自分で考える能力に関して言えば日本人も二分化してきており、深掘りが出来る人と世の中の動きにテレビやネットのニュース以外ほとんど知識を持たない人に分かれてきていると思います。また一般的な知識が欠落していてもある分野に関しては異様に深い知識を持つ方も多く、それらの方が表現の自由を通じてより突っ込んだ思想に入っていくケースも多いでしょう。まさに「一家言あり」です。
個人的には良いことだと思います。考え、議論することは重要です。そして世の中にはいろいろなアプローチがあることを認めながら切磋琢磨していければ日本人は世界の中でも極めて高い能力を持ち、世界がうらやむほどの豊さを推し進められるとみています。
ただし、表現の自由には反論があっても一定のリスペクトが必要だと感じます。時として言葉の暴力になっているケースもあり、それはまだ日本が表現の自由に対して十分成熟していないともいえます。私はこのブログで何度も言っているように考え方はいくらでもあるのです。その中のどの視点にスポットライトを当てるかで個々の主張やトーンは変わってきます。よって他人の意見を「違う!」「こいつはアホだ」と断じるのではなく、「なるほどそういう見方もあるが…」という心も持って頂ければ日本の表現の自由は世界がうらやむレベルになると思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2025年5月14日の記事より転載させていただきました。