■現代の「早瀬川」はどんな場所?

そして時は流れ、約130年後。バスなどの二次交通の不便な遠野では、1972年(昭和47年)頃から、サイクリングによる観光が人気を博していく。

しかし、遠野市の担当者が確認したところ、1975年(昭和50年)に刊行された観光ガイドブック『遠野路』(遠野市観光協会)には、観光スポットとして「百姓一揆」についての記述は見当たらなかったという。

だが、1982年(昭和57年)刊行の『エスコートブック遠野』には「百姓一揆」に関する記述が見られ、「サイクリングコース」の標識写真も掲載されていることが判明。

これらを加味し、担当者は「今回話題となった標識は、当市が1975~82年の間に設置したものと思われます」と、分析していた。

日本一攻撃力が高い標識、強すぎる4文字に目を疑うも… 意外な正体が「市民の誇り」と判明
(画像=『Sirabee』より引用)

現在の早瀬川の河原は、市民が運動や散策を楽しむ場所として愛され、夏は花火大会の会場として親しまれているという。

日本一攻撃力が高い標識、強すぎる4文字に目を疑うも… 意外な正体が「市民の誇り」と判明
(画像=『Sirabee』より引用)

「百姓一揆」の標識が大いに話題となった件について、遠野市の担当者は「普段何の違和感もなく見ていた標識に、こんなにも関心を持って頂けるとは驚きです」「山奥にあり、妖怪や昔話で知られている遠野ですが、こんな意外なところに『海』との不思議な繋がりの歴史があったことや、昔の遠野の人々の優しさを感じてもらえたら嬉しいです」と、笑顔でコメントしていた。

遠野市を訪れた際は、その「懐の大きさ」を感じさせる早瀬川の歴史に思いを馳せてみてほしい。