1993年のJリーグ開幕前、トヨタカップは日本国内のスポーツニュースでサッカーがトップとして報じられる唯一の大会だった。その起源は、1960年から開催された欧州王者対南米王者のクラブ世界一決定戦インターコンチネンタルカップだ。

当初はホーム&アウェイで行われていたものの、特に南米で暴動が頻繫し、1975年と1978年大会では欧州側のクラブが出場を拒否。大会自体が中止に追い込まれてしまう。

そこで、中立国での一発勝負というプランが持ち上がり、トヨタ自動車がスポンサーに名乗りを上げたことで、1981年2月、国立競技場で第1回大会(ナシオナル・モンテビデオ対ノッティンガム・フォレスト/1-0)が開催された。

25年間に渡り開催され、日本サッカー界の冬の風物詩として定着。数々の名勝負を残し、2004年大会を最後に、他大陸王者も含めたFIFAクラブワールドカップ(クラブW杯)に継承されることになる。新レギュレーションで今2025年6月14日から行われる新クラブW杯は、実に6大陸32クラブが出場するビッグトーナメントとなった。

もちろんクラブW杯は欧州や南米以外のクラブにとっては夢のある大会となり、FIFA(国際サッカー連盟)にも莫大な利益をもたらす大会に変革したが、トヨタカップが持っていた欧州と南米の代表としてのプライドがぶつかり合うヒリヒリ感を、今となっては懐かしく感じるファンも多いはずだ。


インターシティーズ・フェアーズカップ1969 トロフィー 写真:Getty Images

インターシティーズ・フェアーズカップ(1955-1971)

インターシティーズ・フェアーズカップは、1955年に第1回大会が開催された欧州カップ戦で、1971年に消滅した。当時、FIFAは公式なタイトル戦として認めた一方、UEFAは非公式戦という扱いだった。