コンクラーベではバチカン・ナンバー2の地位にあったパロリン枢機卿、エルサレム総主教ピエルバティスタ・ピッツァバラ枢機卿、そしてフィリピンのマニラ大司教区のルイス・アントニオ・ゴキム・タグレ枢機卿(67)らの前評判が高かった。

それではどうしてプレボスト枢機卿が4回目の投票で大逆転できたのか。「コンクラーベには神が働く」と言われる。今回も「神の関与があった」と言われればそれまでだ。

しかし、ここでは憶測を少し広めていく。イタリアの日刊紙「イル・メッサジェロ」と「コリエレ・デラ・セラ」両紙は「最初の3回の投票を終えた時点で、プレボスト枢機卿はパロリン枢機卿に後れを取っていた。一方、パロリン枢機卿は第1回目の投票で約40票を獲得したが、第3回目の投票では49票と伸び悩んだ。その結果、パロリン枢機卿は教皇レースから撤退を決意したという。その理由は、ハンガリーのペーテル・エルド枢機卿のような極めて保守的な枢機卿が出てくる可能性を阻止するためだった」と報じている。

事前に配布された候補者リストによれば、プレボスト枢機卿は教会の進歩派と保守派両陣営が合意できない場合の妥協候補と考えられていた。同枢機卿のペルーでの経歴の他、2023年からのバチカンでの司教省長官としての経歴も、新教皇選出の切り札となった可能性が考えられる。同枢機卿は2年前にフランシスコ教皇によって枢機卿に昇格し、そしてバチカンに招かれ、その後、新司教の任命などで重要な役割を果たしてきた。特に、バチカンで構築していった人脈のネットワークがプレボスト枢機卿を大本命に押し上げたというのだ。カトリック教会も他の組織と同様、人脈、人間関係が重要となるわけだ。

実際、ローマの新聞「イル・ドゥッビオ」は「133人の枢機卿が参加したコンクラーベでは、そのほとんどが同僚たちと初めて会うことになった。しかし、プレボスト枢機卿は、圧倒的多数の枢機卿に知られていた数少ない枢機卿だった」と論じている。