この宇宙は、実は壮大なシミュレーションなのかもしれない――

 そんなSFのような話が、今、物理学の世界で真剣に議論され始めている。最近、物理学者のメルビン・ヴォプソン博士が学術誌「AIP Advances」に発表した研究は、重力という我々が当たり前のように感じている力が、実は宇宙の情報を最適化するための計算メカニズム、つまり情報のエントロピー(無秩序さの度合い)を減少させるシステムかもしれない、という驚くべき可能性を示唆した。簡単に言えば、この世界は誰かによってプログラムされたシミュレーションかもしれない、というわけだ。

 しかし、この斬新なアイデア、実は半世紀以上も前に、一人の作家が身をもって体験し、作品として世に問いかけていたことをご存知だろうか。その作家の名は、フィリップ・K・ディック。人工知能に歪められた世界、並行現実、そして精巧な偽りの現実――彼の作品は、まさに「もしこの現実が本物ではなかったら?」という哲学的問いに満ちていた。

 そして1974年、彼は自ら「現実の欠陥」としか言いようのない体験をする。まるでマトリックスの亀裂から、日常というカーテンの向こうに隠された真実を垣間見てしまったかのように……。

1974年2月、現実が裂けた日

FBIも恐れたSF作家フィリップ・K・ディックの“異常体験”!彼が到達した「シミュレーション仮説」とは?
(画像=フィリップ・K・ディック(1962年) 画像は「Wikipedia」より、『TOCANA』より 引用)

フィリップ・K・ディックは、いわゆる典型的なSF作家ではなかった。『ユービック』『高い城の男』『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』といった彼の代表作が描くのは、輝かしい未来技術ではなく、むしろ哲学的なパラノイアだ。「もし現実が現実でなかったら?」「我々は騙されているのではないか?」「時間とは幻なのか?」。

 その彼に、運命の日が訪れる。1974年の2月、歯の治療を受けた直後のことだった。薬の配達に来た若い女性が首にかけていたのは、金色の魚の形をしたペンダント。それは、初期のキリスト教徒たちが互いを識別するために用いたシンボルだった。

 そのペンダントを目にした瞬間、ディックは電気的な衝撃のようなものを感じたという。「水門が開き、別の現実が見えた」と彼は後に記している。彼は1974年のカリフォルニアにいると同時に、1世紀のローマ帝国で迫害されるキリスト教徒でもあった。二つの時間が重なり合い、現実は音を立てて崩れ始めた。そして、彼の知る現実は二度と同じ姿を取り戻すことはなかった。