だからこそ、自己愛は育ちを見極める上で、唯一無二の指標となるのではないだろうか。
育ちは後から変えられない
もし幼少期に十分な愛情を受け取れなかった場合、その“空白”は大人になっても消えず、さまざまな形で現れてしまう。
典型的なのは、過度な承認欲求である。他人の評価に依存し、自分の価値を外部に求め続ける。結果として、自分を過小評価して安売りするような言動に走るか、逆に必要以上に自分を誇示し、聞かれてもいないのに自己PRを繰り返すといった歪みを生む。
また、自分を信じることができない人は、他人のことも信じられない。他者の善意や愛情を素直に受け取ることができず、防衛的で疑い深くなってしまう。その一方で、ある人物に依存しすぎて見境なく信頼してしまい、結果的に利用されたり、裏切られて深く傷つくということも起き得る。
どれだけ丁寧な言葉遣いや上品なマナーを身につけていても、こうした心の傾向は言葉の端々や人間関係にじわりと表れ、「あれ?」と周囲に気づかれてしまう。これがまさに、“育ちの歪み”なのである。
健全な承認欲求
筆者は決して裕福な家庭で育ったわけではない。ブランド品やエレガントな習い事などとは無縁であり、実家も経済的に非常に厳しく、最終的には借金を抱えて失われてしまった。
だが、親からの愛情だけは非常に深かった。母はシングルマザーとして忙しい日々を送っていたが、母は悩みに対して、夜を徹して耳を傾けてくれた。「どんなときでも味方でいる」と無言で伝え続けてくれた存在であった。
その経験は、確かな“安心感”として筆者の中に残っている。自分は誰かに必要とされ、受け入れられている。この確信は、自分を支える土台となった。
もちろん、20代の頃はつまらない承認欲求にとらわれたこともあった。お金もないのにブランドバッグを買っては見せびらかし、自分を大きく見せようとしていた恥ずかしい黒歴史もある。