この経験は人生の中でメンタル的に非常に強くさせたと思います。残念ながら私はKSKの範疇の高校に行かなかったのでそこから受験競争がなくなったことで一種のハンディを背負います。結構堕落した高校生活から大学に入った時、目覚めたのです。「努力しなくちゃいけないんだ」と。ここから激しくストイックな人生を歩みます。他人との競争ではなく、自分の鍛錬という観点で搾り上げたと思います。
今の私が成功者か脱落者か、凡人か、はたまた単なる「山師」か、それは他人目の評価であって私はそれを意識することは全くありません。人生の目標をしっかり定めて次の10年、またその次の10年を登る、それを他人との比較とか誰かに影響を受けるのではなく、自意識でコントロールしてきました。これは社会人になってからほぼブレたことはないと思います。
この点を踏まえてお題の「東大生はなぜ優秀とされるのか」と「彼らは人生で成功するのか」を別々に捉えてみると面白いと思います。10代の目標を東大に入ると設定すれば先ほどの受験戦争さえ勝ち抜けばほぼ誰でもそのチャンスはあるはずです。
その中で地頭が良いかどうかが時折話題になります。一日3時間しか勉強しなくて東大に入ったという話もありますが、私はその3時間の集中度が他の人の2倍あればそれは驚く話ではないと思うのです。
人の頭は使えば使うほど冴えわたるものです。ところが苦労して東大に入った途端、競争社会での努力を忘れるとたちまち最下位グループに落ちます。同様に東大生が就職した際、賢そうな連中がうようよする企業や官庁で再度競争社会で揉まれるか、「東大卒」でちやほやされるかでその方の人生の花開き方はまるで変わるとも言えます。
ポイントは天才ではない限り、努力しないと誰でもダメだということです。では天才なら絶対に偉くなれるか、と言えばこれは単純な話ではありません。天才とかギフテッドはIQが高いものの多面的な人間生活でバランス感覚が欠落していることが往々にしてあるのです。社会人になり、普通の方と同じ組織に入るとたちまちトラブることも大いにあり得るのです。