平野啓一郎氏の小説「ある男」を読んだことがある方もいらっしゃるでしょう。また同名の映画は2022年に公開され同年の日本アカデミー賞で12部門で賞をとった作品です。作者の平野氏はいわゆるエンタメ系の売れ筋本を書くというよりかなり骨ばった内容と奥深さがあり、本腰を入れて読まないとわからなくなるような小説です。読んでいて「三島由紀夫にタッチが似ていないか」と思ったのですが、案の定、平野氏は三島氏の大の研究家で作風に三島氏の影響を受けているのだと思います。
その「ある男」は主題がいくつかあるのですが、その一つに奥さんと子供の姓名にまつわる話があります。初めの御主人との間に生まれた長男は離婚と共に姓名が奥さんの旧姓に戻ります。そして再婚し新しい御主人の姓名に変わります。そしてそのご主人は事故でなくなり、かつその無くなったご主人は戸籍上、存在しない人物で結婚の事実そのものが消滅します。子供が母親に「また姓名が変わるの?僕、嫌だ」というシーンがあります。そりゃそうです、子供にしてみれば短期間で4度も名前が変わるのです。
この被害者は誰だったのか、といえばすべてが受動的な結果として受けれざるを得なかった子供にあるのです。
夫婦別姓問題、報道では立憲民主党が法案を提出するも自民、維新、国民民主の足並みはそろわず、特に自民では党内で意見統一ができない状態にあります。立憲の法案提出は動かない本件が展開するきっかけとなるのでしょうか?

「民法の一部を改正する法律案」(通称:選択的夫婦別姓法案)を衆院に提出
夫婦別姓問題について私は2021年6月のブログにこう記しています。 「一定年齢の方に言わせれば『結婚は社会的責任を負うことだ』と極めて重い表現をしますが、今の人たちはそんなふうにはとらえないでしょう。本人同士の問題であり、付き合い方をどの深度まで追求するか、恋愛関係の維持か、パートナーシップか、結婚かという選択肢が出来ているともいえます」と述べています。私は基本的に姓名にこだわる意味がほぼないと考えています。