差別が重大な問題だからこそ、反差別はホンモノでなければならない。この間その座を僭称してきたニセモノは、日本にも文学にも、必要ない。
ホンモノかニセモノかはまさしく、その人が「個人」として発言する勇気を持つか、八岐の大蛇めいた「連名ないし匿名」の隠れ蓑に潜んで他人を襲うのかで、見分けられねばならない。不毛なトランスジェンダリズムの流行を活かす道は、いまやその肥やしとなるべく、頭も尾も割かれ草薙剣を取り出されることのほかにない。
参考記事:

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