米の生産は、1920年に1200万石だったものが、戦時経済に入る前の1937年には2000万石に増えた。

しかし、人口増加に追いつかず、また、内地への移出によって収入は増えたが庶民の消費に回る分は減ったという都市伝説がある。これは、東畑精一・大川一司による1935年の有名な論文で、統合直後からその20年後における一人あたりの消費量が、0.70石が0.45石に減ったと唱えたことを受けたものであり、韓国の歴史教科書でもこのあたりが強調されている。

しかし、東畑らは1939年にこの数字が誤りだったことを認め、それぞれ0.59石と0.55石でほぼ横ばいであったと修正した。また、同じ時期には、肉や魚介類の消費が伸び、カロリーで計算すれば落ち込みはないことが明らかになっている。

日本でも江戸時代に比べて現在では米の消費量は数分の一になっており、いずれにせよ、あまり意味のある数字ではない。

土地問題や農地については、土地制度を近代化する過程で日本人による収奪が行われたと主張する人がいるが、内地における土地制度の近代化に比べて特別なことをしたわけではない。また、朝鮮総督府の所有になったとしても、そこで得られた利益を内地に持ち帰ったという事実はなく、日本の財政からはひどい出超であり、総督府の予算として朝鮮の発展に使われただけである。

もちろん、内地においても大正から昭和にかけて大地主を主体とした政党政治が進展するにつれて、政友会などに属する地方名望家の発言力が強まり、藩閥政府時代に比べて彼らの利益になる政策に傾斜していた傾向はあるので、それと同じ傾向が朝鮮でもなかったかというと、完全には否定できないが、これも日本からの収奪ではない。

日本では、それが朝鮮にも波及した可能性がある。いずれにせよ、日本統治下の朝鮮では、産業構造に占める農業の地位は内地と同じように下がったが、優れた農業土木技術の導入や新しい品種の改良などもあって、朝鮮の農業は大発展し、また、内地に移出する一方、満洲などから食料も輸入されて、食生活は改善していった。