しかし、経済社会の問題については、主観的意図を問題にせず、客観的に結果で考えるべきである。「けしからん」対「朝鮮のためによかれと思ってしたこと」という主観についての議論は堂々巡りにしかならないが、「結果として朝鮮の人たちに利益、不利益をどう与えたか」を優先して議論すればよい。
日本は朝鮮半島に素晴らしい鉄道網を建設した。韓国人は軍事、治安上の要請に基づいて建設したのだから感謝する必要はないというが、「日本が半島の私たちのために建設してくれた」と言ってくれとは望まない。結果として韓国の発展に役立ったことを評価してもらいたいところである。
インフラについていえば、道路、都市開発、防災、河川や農地の整備などあらゆる分野で改善が行われ、内地より立派なものが多く、内地の開発が手薄になった弊害すらあったくらいである。
金泳三大統領によって取り壊されたのが威風堂々とした朝鮮総督府であるが、それは景福宮の前に建てたことが批判されている。しかし、江戸城でも京都御所でも各地の城でも都市の中心にあるのであり、部分的に建物を整理してその跡地に新時代に必要な施設を建設することは内地でも多い。

朝鮮総督府庁舎 Wikipediaより
むしろ、総督府のかたわらに景福宮など歴史建造物を良心的に保存したというべきである。内地ではそんな配慮はあまりなかったのだから、まことに韓国の伝統文化に敬意を払ったといってよい。
それを金泳三大統領が功名心で壊したのは馬鹿げたことであり、李明博市長(のち大統領)が逡巡ののちにソウル市役所(旧京城府庁)を残したのは感心なことであった。
素晴らしい人口増と食糧事情悪化という誹謗
李氏朝鮮の人口は公式には600万人程度だったが、税や兵役逃れで過少申告していたとみられ、1906年の統監府の調査では1293万人であった。日本統治下になってからは、1300万人(1910年)、1700万人(1920年)、2000万人(1930年)、2400万人(1940年)と順調に増加に転じた。さらに、このほかに327万人が内地や満洲に移住してチャンスを求めた。