このように、平安の貴族たちの日常は、ただ美しい朝景色に包まれていたわけではなく、実に几帳面で厳粛な儀式の連続であったのです。

出仕に際しては、束帯や布袴、衣冠、直衣といった各種の服装に身を包み、ひとたび外へ出れば、その身なりや立ち振る舞いは、まるで計算された舞台の上の役者のように、細かい規律に縛られていました。

ある記録によれば、正装の束帯で勤務する苦痛さえも、貴族たちの間で語り草になっていたとのこと。

なお仕事内容に関しては、年中行事の準備や書類の決裁が中心です。

また貴族の中でも位の高いものは、重要事項を決定する会議に参加することもありました

このような会議では位の低いものから順番に意見を言っていき、会議の取りまとめ役が議事録を作成して天皇や摂政に提出しました。

なお当然位の高い貴族の意見が通りやすかったものの、位の低い貴族の意見が全く通らなかったわけではありません。

またあくまで最終決定者は天皇や摂政ということもあり、たとえ会議で全員の意見が一致していたとしても、その案が却下されることもありました。

そして、勤務時間は夏至の時期が9時24分頃、春分秋分の時が10時24分頃、冬至の時期が11時18分頃までであり、この時間になると退朝鼓が鳴り響いて勤務が終了しました。

勤務時間は大体3時間半から4時間と短く、貴族たちは朝の儚い瞬間に全精力を注いでいたのです。

しかし、勤務が終わった後も、一部の貴族は宿直などで都の秩序維持に従事していました。

毎日ではないものの、午後と夜間に宮中に残る「宿直(とのい)」という義務が彼らに課されていたのです。

宿直勤務中の貴族は午前の勤務が終わった後も宮中に残り、その日は一日中仕事をしていました

まさに、平安の都は一見するとのんびりとした風情を漂わせながらも、その裏では数多の決まりごとと、貴族たちの不断の努力によって、日々の営みが回っていたのです。