Suica。確かに電車に乗るときは便利なのです。私はいまだにスマホ型ではなく、カード型なのですが、これをチャージするのにウェブサイトからクレカにはできないのです。こんな古典的カードが日本のメジャーなポジションにあるのは私としては信じがたいレベルです。当地ではカード型でもパソコンやスマホで簡単にチャージしたりオートチャージ機能がついているので便利さという点では日本は劣りつつあるのです。

私が最も不思議に思うのが日本ではなぜ電気自動車(BEV)が普及しないのだろうという点です。自動車大国日本は誰でも認めるところですが、その日本のBEVの普及率は1.4%(24年11月)でOECDでは最低レベル。このブログでは再三テーマに挙げたので深くは立ち入りませんが、新しいものを受け入れたくない理由が先行してしまうのだと思います。特にインフラ整備が全くダメで自動車大国日本のガラパゴス化は確実だと思います。

今年の初めに25年はEV車が盛り返すだろうと予想したのですが、日本を除く世界ではその傾向が感じられます。特にテスラ一辺倒だった北米においてマスク氏の政治的関与の問題でテスラの魅力が下がったため、消費者が代替のEVを探し始めたことから売れ行きに変化が見られます。EV自動車メーカーからすればマスク氏サマサマであります。

本日のテーマ、構造的障壁を破れない理由ですが、私が外から見る限り思いつくのは「改革には非常に気が重い」という日本人独特の感性ゆえではないかと思うのです。例えば「終の棲家」という言葉がありますが、あれは日本にしか通じない意味です。棲家など自分の環境に合わせていくらでも引っ越して自己満足度を高め、変化を楽しむ発想が北米のスタイルですが、日本ではほぼないと言ってよいでしょう。いわゆる農耕型民族と狩猟型民族の違いとも言えます。

また構造的な改革など新しい発想に対して極めて否定的で改革をすることのデメリットを政治家からマスコミまで皆で並べ立て、多くの国民もそれに同調する傾向があります。「これを変えたらこんなに不便になる」という嫌な部分だけを強調してしまう風潮が強いのが特徴です。