同書、108・110頁 算用数字に改定
そもそも大量生産/消費の資本主義がニセモノ量産装置な上に、日本人は欧米をコピーする形で近代化したから、二重にニセモノである。そんな時代に、あえて「ホンモノ」の痕跡を求めることに意味はあるのか? という問いが、明治以降の日本のインテリにはお約束としてある。
で、江藤いわく、小林秀雄クラスのビッグネームでも、1960年代の高度成長の頃からもう諦めたんじゃない? というわけですね。
……なんでそんな結論になるかというと、江藤さん自身にとっては、敗戦と高度成長以降の日本がまるごとニセモノなんですよね。この点は、来月5/15に出る拙著でも、じっくり論じています。
ところが、今回の『表現者クライテリオン』鼎談では、『小林秀雄の「人生」論』などの著書がある浜崎さんから、待った、それは違う! とのダメ出しが、江藤と福田(と私?)に入るんですな。