2回前からの続き。発売中の『表現者クライテリオン』5月号には、辻田真佐憲さん・浜崎洋介さんとの「論客追悼鼎談」(後編)も載っています!
2024年に亡くなった3名を偲ぶイベントの活字化ですが、前編では伊藤隆・西尾幹二のおふたりがメインだったので、今回は「福田和也論」。ぜひ、多くの方の目に留まればと思います。
そこでの議論の鍵になる挿話について、せっかくなので再録しておきましょう。鼎談では私が持ち出したもので、初出は江藤淳・福田和也「対談・小林秀雄の不在」(『文學界』1996年4月号)。
江藤淳に見出されて飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃の福田氏が、あえて江藤に感ずる違和感も吐露しつつ、いわば「親離れ」のための師弟対談として行った形でした。江藤は99年の7月に自殺してしまうので、年少の世代との対話を通じて、彼の最晩年のメッセージを聞くことができます。
で、面白いのがここで――(本noteのタイトルは私がいま風にしたもので、もちろんCDでなくLPの話ですから、誤解なきよう)。
江藤:小林〔秀雄〕さんの真贋ということで話すと、……モーツァルトの「魔笛」や「フィガロの結婚」は、やっぱりウィーンやザルツブルグへ行って観るのがいいと思うんですね。それであるとき、小林さんは今日出海さんと一緒に英国女王の戴冠式の時〔1953年か〕にヨーロッパへ最初に行かれてグルッと回って帰ってこられていたし、これからも幾らだって行くことはできると思って小林さんに言ったことがあるんです。