お前はどう考えているのか、と聞かれるとそもそもメディアの在り方が大変貌を遂げる中、フジが一つなくなっても何一つ困らないと申し上げたその気持ちは今でも変わりません。ただし、社会的意義ではなく、エンタメ会社として、日本全国に無料の地上波放送を通じて影響力を持つという意味ならば商売価値は当然あるわけです。

北米はテレビ放送は有償という大前提があります。ケーブルとかサテライトテレビと称するものですが、無数の放送局がある代わりに一つひとつの局の専門性が高く、自分の好きなジャンルのチャンネルを見るという仕組みです。当然ながらこの仕組みではアメリカやカナダの全土ベースとしてはなかなか大ヒット番組が出せず、結局、国民全体で盛り上がるのはスポーツとか音楽番組が主流となります。日本のような「芸能」というジャンルは育ちにくいとも言えるのです。

日本は安いギャラのお笑い芸人から高いギャラのベテランに至るまで「芸能人」と称する方々が驚きのアクションや華麗な動きをしたりして茶の間の話題になります。広末涼子のようにテレビに出たい一心で芸能界に入る人が多いということです。しかも無料でそれらの番組を楽しむことができるのは日本のメディア力がいかにパワフルかを表しているとも言えるでしょう。また全国区の民放は数社しかないわけで経営努力次第ではかなり収益性が高まることもあり得るでしょう。

その中で現在のフジテレビの経営陣は、これも以前申し上げましたが、日枝体制が長く続いたことで社内にしっかりした判断力と行動力を持つ人材が不足している可能性は高いとみています。(鈴木体制がなくなった後のセブン&アイが混迷したのと同じ構図です。)つまり日枝氏のメディア世界観が社内に教義のように蔓延しており、「フジ=メディア」というフレキシビリティのない発想にとらわれている可能性が高いとみています。

よって経営刷新による期待感は出てくると思います。また、ダルトンは不動産の切り離しを主張しているようですがそれは正しいと思います。企業が本業以外に不動産で稼いでいるケースでは本業が伸びないことは往々にしておきます。サッポロビールにしても朝日新聞にしても同様なのですが、なぜダメかといえば「本業がだめでも不動産があるさ」という安心感で経営にシャープさが無くなってしまうのだと思います。