マッカーリック枢機卿の場合、未成年者への性的虐待容疑から枢機卿職を辞任している。1974年に米国マサチューセッツ州のウェルズリー大学で行われた結婚式で、当時16歳だった少年に性的暴行を加えたなど数件の容疑がかけられてきた。同枢機卿はベッチウ枢機卿と同様、フランシスコ教皇の友人サークルに入る人物だった。

2020年、バチカンはマッカーリック元枢機卿に関する包括的な調査報告書を発表した。バチカン国務省が主導した2年間にわたる内部調査により、1980年代と1990年代の虐待行為を記録した信頼できる目撃証言と有罪を示す資料が明らかになった。報告書はまた、マッカーリック氏の教会内での不正行為の兆候が初期からあったが、この情報は共有されなかったか、十分に真剣に受け止められなかったことも明らかにした。警告にもかかわらず、マッカーリック氏は影響力のあるワシントン大司教区のトップにまで上り詰めたわけだ。

ほぼ同時期、米ペンシルベニア州のローマ・カトリック教会で300人以上の聖職者が過去70年間、1000人以上の未成年者に対し性的虐待を行っていたことが2018年8月14日、州大陪審の報告書で明らかになっている。マッカ―リック枢機卿は当時、米教会所属の聖職者の未成年者への性的虐待の頂点にいたわけだ。

ちなみに、マッカ―リック枢機卿の性犯罪を暴露したのは当時バチカン駐米大使のカルロ・マリア・ビガーノ大司教だった。同大司教は教皇宛ての書簡の中でフランシスコ教皇の辞任を要求した。通称「ビガーノ書簡」(11頁)はバチカンばかりか世界のカトリック教会を震撼させる大事件となった。ペテロの後継者のローマ教皇が身内から辞任を要求されたのは長い教会史の中でも稀な出来事と言わざるを得ない。ビガーノ大司教は、書簡の中でフランシスコ教皇が友人の一人でもあったマッカ―リック枢機卿のスキャンダルを知りながら隠蔽し、5年間も枢機卿を庇っていたと批判したのだ。