私が自動車産業のトピックを時々取り上げるのは好きだからというのもあるし、皆さんの活発なご意見も頂戴できるし、なにより私の気持ちの中には日本の産業の要であるのに本当に大丈夫なのか、という懸念があるためです。

EVと内燃機関のクルマの話をすれば意見は真っ二つ、というより日本の方は内燃機関派が大半のような気がします。性能の比較論からEVは普及しないという主張が強いけれど自動車会社の存続と成長という点からはまだ十分な議論ではない気がします。また、消費者へのアプローチが不十分で新市場が形成されていないのはあるでしょう。その上、自動車メーカーそのものが内燃VS電気自動車の闘争に巻き込まれ、特にBEV(バッテリ式電気自動車)への踏み込みに躊躇したのは大きいし、トヨタが水素燃料のクルマ(FCEV)を作り「BEVより水素だぜ」という機運が一時盛り上がったことも市場のコンセンサス形成では混乱を招いたと思います。

最近、高杉良氏の「落日の轍(わだち) 小説 日産自動車」という文庫を拝読する機会がありました。初出は1988年で2019年に文春文庫から改めて出ているのですが、今年2月に買ったのにまだ第一刷だったので最近はほとんど売れていない証拠でしょう。そりゃそうです、内容は昔の日産の3人の天皇の話の上に高杉氏のビジネス小説に時たまあるストーリーが「尻切れトンボ」状態だからでしょう。ただ、3人の天皇、川又克二、塩路一郎、石原俊各氏らの権力争いでトヨタとの販売競争にどんどん差をつけられていく70年代後半-80年代前半の同社の動きを見れば今日の日産が陥った問題の原因は探れると思います。

日産は鮎川義介氏が創設したもの。鮎川家は長州藩の良家で義介氏は若い頃、親戚の井上馨から技術者を目指すよう指導を受けながらも実際には事業家としての手腕が高く、「日本産業」を設立、日本鉱業(現ジャパンエナジー)、日立、日産化学、日産生命などと共に日産自動車も設立し、日産コンツェルンとして三菱、三井など財閥系と肩を並べたのです。その点では渋沢栄一と比較できるほどだと思います。

日産HPより