フルシチョフの頃からすでに、共産主義の理想は「生活水準の向上」としてプロパガンダされていたため、〔ソ連の〕人々が冷戦末期に西側の豊かな消費社会を目にしたとき、そちらへの脱走を転向と感じる理由はなかったのである。
しかしその資本主義もまた、社会主義の崩壊と同時に「すべての人」を豊かにするという夢を失った。ソ連解体後、ロシアで市場経済の導入が強行された際に語られた「いまを耐えれば未来が手に入る」という新自由主義のスローガンは、皮肉にもスターリン独裁が最悪に達した時期のそれと、同じものだった。
記事の2頁めより
そうなのである。統治者の政策で生活が苦しくなっても、「やがて報われるから、その苦しさには意味があるんだ」と強弁されて、かつそれを国民が信じてしまえば、意外にその体制は保ってしまうものなのだ。
いまだと朝鮮半島の北半分に、そうした国がある。さすがにアメリカ国内には、強制収容所ができたりはしていないけど、かつてWW2の際に日系人の収容に用いた法律を復活させて、中南米の地獄の刑務所に不平分子は叩き込むぞと脅したりはしている。すごい話である。
スターリンの思想は、よく一国社会主義と呼ばれる。ライバルのトロツキーが世界革命を唱え、グローバルに展開しないかぎり共産主義は持続しえないと主張したのを退けて、ソ連のみでの自立経済に徹したものだ。
これに倣うと、関税政策に見るトランプの発想は一国資本主義なのかもしれない。グローバルな市場競争の下で、各国が(比較優位に応じた)最適生産の道を選ぶことで、初めて資本主義はペイするというのが近日までの常識だったけど、「それは嫌だ!」というわけだ。